「規定打席未到達で2ケタ本塁打」2/ケガ?準レギュラー?未完の大器?

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2018年1月22日、華麗な一本足打法で南海、西武、大洋で活躍した片平晋作氏がすい臓がんのため、68歳で亡くなりました。

「規定打席未到達の好成績」が大好物な私は、「規定打席未到達で2ケタ本塁打」を通算6回も記録している片平氏の年度別成績表を見るのが好きでした。

前回の記事に引き続き、今回も片平氏を偲んで、この「規定打席未到達で2ケタ本塁打」をテーマにしたいと思います。

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「規定打席未到達で2ケタ本塁打」5回以上 Part.1

今回は、昨年までの過去30年間(1988~2017年)で「規定打席未到達で2ケタ本塁打」を通算5回以上記録した打者8人をご紹介します。

5回 山崎武司(元中日、楽天他)
1995  .291(203-59)16本 39打点
1999  .246(354-87)28本 75打点
2001  .238(365-87)25本 51打点
2003  .232(358-83)22本 68打点
2011  .229(362-83)11本
48打点
1996年に39本塁打で本塁打王を獲得も、2005年の楽天入団までは不動のレギュラーとはいかず。通算403本塁打の大選手がキャリア中盤で「規定打席未到達で2ケタ本塁打」を3回も記録しました。

5回 阿部慎之助(巨人)
2001  .225(386-*87)13本 44打点
2003  .303(314-*95)15本 51打点
2011  .293(390-114)20本 61打点
2015  .242(343-*83)15本 47打点
2016  .310(335-104)12本
52打点
1年目の2001年から昨年まで、なんと17年連続2ケタ本塁打を継続中。要するに阿部の場合は、ケガなどでフル出場できなかった年が「規定打席未到達で2ケタ本塁打」を記録した年ということです 苦笑

5回 村田修一(※現在所属チーム未定)
2003  .224(330-*74)25本 56打点
2004  .242(326-*79)15本 38打点
2009  .274(343-*94)25本 69打点
2015  .236(330-*78)12本 39打点
2017  .262(381-100)14本
58打点
村田も1年目の2003年から昨年まで15年連続2ケタ本塁打。それで戦力外とは少々気の毒な気もします。フル出場できなくても確実に2ケタ本塁打を狙える選手をなぜどこも獲得しないのでしょうか…。

5回 エルドレッド(広島)
2012  .262(225-59)11本 35打点
2013  .247(235-58)13本 32打点
2015  .227(264-60)19本 54打点
2016  .294(316-93)21本 53打点
2017  .265(344-91)27本
78打点
来日から6年間で規定打席到達は2013年の1回だけ。しかもその年は37本塁打で本塁打王を獲得しています。つまり一昨年までの中村剛也(西武)と同じく「規定打席到達の年は必ず本塁打王」です 笑

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「規定打席未到達で2ケタ本塁打」5回以上 Part.2

6回 高橋由伸(元巨人)
2005  .298(325-97)17本 41打点
2006  .260(350-91)15本 51打点
2008  .236(275-65)17本 41打点
2010  .268(280-75)13本 56打点
2011  .246(256-63)15本 37打点
2013  .303(165-50)10本
34打点
プロ入りから7年間で打率3割を6回も記録しましたが、2005年以降の11年間はケガなどでわずか1回しか規定打席に到達できませんでした。高橋にとって今回の記録は不名誉なものかもしれません。

6回 藤井康雄(元オリックス)
1988  .286(311-89)20本 62打点
1996  .274(310-85)20本 61打点
1997  .240(254-61)18本 57打点
1999  .245(323-79)15本 51打点
2000  .229(280-64)18本 54打点
2001  .196(189-37)15本
45打点
1989、1990年と30本塁打を打つも、仰木彬氏がオリックス監督に就任した1994年頃から準レギュラー的な存在に。それでも抜群の長打力と選球眼で活躍しました。1999年のIsoDは驚異の0.145です。

7回 大豊泰昭(元中日、阪神)
1989  .233(309-72)14本 36打点
1990  .274(259-71)20本 48打点
1992  .267(251-67)11本 39打点
1997  .240(296-71)12本 35打点
1998  .231(307-71)21本 61打点
1999  .341(164-56)18本 39打点
2000  .241(303-73)23本
54打点
1994年に38本塁打で本塁打王を獲得するなど通算277本塁打も、調子の波が激しく規定打席到達は14年間で5回だけ。1999年は26試合連続安打を記録し、わずか181打席で18本塁打を放ちました。

7回 清原和博(元西武、巨人他)
1999  .236(263-62)13本 46打点
2000  .296(216-64)16本 54打点
2002  .318(148-47)12本 33打点
2003  .290(341-99)26本 68打点
2004  .228(101-23)12本 27打点
2005  .212(321-68)22本 52打点
2006  .222(203-45)11本
36打点
1年目の1986年から歴代最長となる21年連続2ケタ本塁打も、1997年の巨人移籍以降の12年間はケガが多く規定打席到達はわずか3回だけ。それで通算525本塁打はなんかいろいろおかしいです 苦笑

ケガ?準レギュラー?未完の大器?

「規定打席未到達で2ケタ本塁打」と一口に言っても、ケガや不振が理由だったり、首脳陣の起用方針によるものだったり、または若手時代の成長する過程だったりと事情はさまざまです。

したがって、今回ご紹介した選手たちもタイプがバラバラで面白い結果となりました。

村上、藤本、井上あたりは現役生活のほとんどを準レギュラーとして過ごしながら持ち前の長打力をいかんなく発揮し、脇役としてチームを支えるタイプの選手でした。

佐伯も若い頃はそのタイプの選手で、相手の先発投手が左投手の時などはスタメンから外されることもありましたが、その後レギュラーを勝ち取り、打率3割3回、通算1597安打の名選手に成長しました。

垣内は「規定打席未到達で2ケタ本塁打」を何度も記録することで自らの潜在能力の高さを証明しましたが、残念ながら大成できず「未完の大器」に終わりました。

石井、高橋、清原は元々スター選手でチームの主砲として活躍しましたが、ケガなどが原因である時期からフル出場することができなくなり、相当不本意だったことでしょう。

片平氏を偲んで始めたこの企画でしたが、思いがけずプロ野球選手たちの「人生模様」のようなものを垣間見ることができました。

ちなみに今回「規定打席未到達で2ケタ本塁打」を最多の7回記録したのは清原と大豊でしたが、前回の記事でもお伝えした通り、清原は1年目の1986年に片平氏と同じ西武でプレーしています。

清原と同じ一塁手だった片平氏は前年に打率3割(規定打席未到達)を記録しながら、清原入団に伴い指名打者に回されましたが、それでも打率.292、17本塁打と意地を見せました。

そして1年目から打率3割、30本塁打と大活躍した清原に西武の一塁手を託すような形で、翌1987年大洋に移籍。片平氏はそこで3年間プレーし、現役生活を終えました。

一方の大豊はご存じの通り、片平氏と同じく王貞治(元巨人)に憧れて一本足打法でプレーし続けた数少ない選手です。

奇しくも片平氏と縁の深い選手2人が、今回の記録の最多達成者となりました。

現役引退後は、西武の打撃コーチや二軍監督、編成部長として若手選手の育成に尽力した片平氏。病による早すぎる死は、ご本人が一番悔しかったに違いありません。

片平氏のご冥福を心よりお祈りいたします。


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