巨人・村田、無念の戦力外通告…/巨人FA入団スラッガー悲劇の歴史

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2017年10月13日、村田修一(巨人)が戦力外通告されたことが発表されました。

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村田、無念の戦力外通告…

村田は、2011年にFAで横浜から巨人に移籍しました。

昨年は全試合に出場し、打率.302、25本塁打、81打点と好成績を残しましたが、巨人6年目の今季は新外国人・マギーの入団に伴い、4月、5月は代打での出場がほとんどでした。

交流戦からようやくスタメンでの出場が増え、最終的には118試合に出場。規定打席には到達しませんでしたが、入団以来15年連続となる2ケタ本塁打(14本)を記録しました。

今季の村田の成績はこちら。

.262(424-100)14本 58打点 40四死球 OPS.754

上述したように、起用のされ方がやや不遇だったことを考えれば、この成績は健闘した方なのかもしれません。しかし、年俸(2億2000万円)を考えるとコスパは決して良くないです。

それでも、今季はまだ十分チームの戦力にはなっていたので、その村田をあっさり手放すという巨人の判断は、かなりドライなものだと言わざるを得ません。

それにしても、今回の村田のようにFAで巨人に入団したスター選手は、なぜ毎回こんなにも悲惨な末路をたどることになるのでしょうか。

私たちは今まで、何度もこのような巨人のFA入団選手たちの悲しい退団劇を見てきました。

そこで今回は、過去村田と同じような経緯をたどった選手たちのことを振り返り、村田の今後を占ってみたいと思います。 

巨人FA入団スラッガー悲劇の歴史 Part.1

今回取り上げるのは、広沢克己、清原和博、江藤智、小笠原道大の4人。

村田と同じく、みな巨人入団前のチームで主砲を務めたスラッガーたちです。

4人とも、数々のタイトルを獲るなど華々しい活躍の後、30歳あたりで巨人にFA入団しました。(「無冠の帝王」こと清原も、最高出塁率やベストナインなどのタイトルは獲っています。念のため 苦笑)

この4人の成績をそれぞれ3つの項目に分けてご紹介し、その選手にとっての巨人へのFA移籍というものを考えてみたいと思います。

その3つの項目とは、まず巨人入団前のチームでのキャリアハイ(CHと表記)と最終年の成績。次に巨人での年度別成績。さらに巨人退団後に移籍したチームでの引退までの年度別成績。

少々見づらいかもしれませんが、何とぞご了承ください 苦笑

ちなみに落合博満も、この4人と似たような経緯をたどった選手と言えますが、落合の場合は、巨人に入団する前にすでにロッテ、中日と2球団を渡り歩いていました。

しかも巨人に入団した時の年齢がすでに40歳。他の4人と比べてあまりにも特殊な点が多かったので、今回は取り上げませんでした。

 
広沢克己(ヤクルト → 巨人 → 阪神)
■ヤクルトでのキャリアハイと最終年の成績
1990  .317(496-157)25本 72打点 67四死球 OPS.914(CH)
1994  .271(501-136)26本 73打点 46四死球 OPS.823(最終年)

■巨人での年度別成績
1995  .240(446-107)20本 72打点 62四死球 OPS.758
1996  .198(*91-*18)*4本 13打点 11四死球 OPS.644
1997  .280(428-120)22本 67打点 46四死球 OPS.818
1998  .301(163-*49)*9本 25打点 26四死球 OPS.914
1999  .143(*14-**2)*1本 *1打点 *2四死球 OPS.607

■阪神での年度別成績
2000  .217(115-*25)*5本 16打点 10四死球 OPS.637
2001  .284(268-*76)12本 46打点 24四死球 OPS.798
2002  .288(*66-*19)*1本 11打点 13四死球 OPS.748
2003  .306(*62-*19)*4本 15打点 *6四死球 OPS.916

当時巨人のライバルだったヤクルトの四番打者のFA移籍となりましたが、プレッシャーに負けたのか巨人1年目は散々な成績でした。3年目の1997年に少し持ち直しますが、怪我もあり、基本的には5年間ほとんどチームに貢献できませんでした。むしろ阪神移籍後の方が生き生きと活躍していた印象です。

 
清原和博(西武 → 巨人 → オリックス)
■西武でのキャリアハイと最終年の成績
1990  .307(436-134)37本 *94打点 120四死球 OPS1.068(CH)
1996  .257(487-125)31本 *84打点 *76四死球 OPS*.866(最終年)

■巨人での年度別成績
1997  .249(462-115)32本 *95打点 *81四死球 OPS*.865
1998  .268(384-103)23本 *80打点 *75四死球 OPS*.863
1999  .236(263-*62)13本 *46打点 *56四死球 OPS*.795
2000  .296(216-*64)16本 *54打点 *33四死球 OPS*.950
2001  .298(467-139)29本 121打点 *79四死球 OPS*.942
2002  .318(148-*47)12本 *33打点 *25四死球 OPS*.981
2003  .290(341-*99)26本 *68打点 *58四死球 OPS*.935
2004  .228(101-*23)12本 *27打点 *19四死球 OPS*.954
2005  .212(321-*68)22本 *52打点 *51四死球 OPS*.753

■オリックスでの年度別成績
2006  .222(203-*45)11本 *36打点 *37四死球 OPS*.759
2007  出場なし
2008  .182(*22-**4)*0本 **3打点 **3四死球 OPS*.553

ドラフトで巨人にフラれた清原の念願の巨人入団。巨人1年目は成績以上に不振だった印象で、強烈にバッシングされました。3年目以降は怪我が多く、規定打席到達は2001年だけ。チームの和も乱し、後味の悪い9年間でした。オリックスでは戦力にはなりませんでしたが、メディアの注目は集めました。

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巨人FA入団スラッガー悲劇の歴史 Part.2

江藤智(広島 → 巨人 → 西武)
■広島でのキャリアハイと最終年の成績
1995  .286(462-132)39本 106打点 92四死球 OPS1.004(CH)
1999  .291(437-127)27本 *79打点 78四死球 OPS*.953(最終年)

■巨人での年度別成績
2000  .256(457-117)32本 *91打点 61四死球 OPS*.847
2001  .285(485-138)30本 *87打点 77四死球 OPS*.898
2002  .242(414-100)18本 *56打点 50四死球 OPS*.728
2003  .268(269-*72)17本 *43打点 22四死球 OPS*.798
2004  .227(*97-*22)*4本 *15打点 14四死球 OPS*.716

2005  .172(*93-*16)*0本 **4打点 16四死球 OPS*.503

■西武での年度別成績
2006  .242(124-*30)*5本 *19打点 21四死球 OPS*.769
2007  .229(109-*25)*3本 *17打点 *9四死球 OPS*.664
2008  .206(*97-*20)*7本 *17打点 13四死球 OPS*.730
2009  .128(*39-**5)*0本 **1打点 *4四死球 OPS*.389

巨人1年目、2年目と2年連続30本塁打を記録するなど、この2年間は地味ながらもしっかりと戦力になっていました。3年目以降急激に成績が落ち、2004年に小久保裕紀が入団してからは出場機会が激減しました。西武移籍後は、貴重な代打・控え選手として長打力を発揮しました。

 
小笠原道大(日本ハム → 巨人 → 中日)
■日本ハムでのキャリアハイと最終年の成績
2003  .360(445-160)31本 100打点 98四死球 OPS1.122(CH)
2006  .313(496-155)32本 100打点 75四死球 OPS*.970(最終年)

■巨人での年度別成績
2007  .313(566-177)31本 *88打点 47四死球 OPS*.902
2008  .310(520-161)36本 *96打点 63四死球 OPS*.954
2009  .309(514-159)31本 107打点 64四死球 OPS*.927
2010  .308(510-157)34本 *90打点 75四死球 OPS*.953
2011  .242(281-*68)*5本 *20打点 31四死球 OPS*.653
2012  .152(*92-*14)*0本 **4打点 *5四死球 OPS*.379
2013  .250(*36-**9)*1本 **8打点 *3四死球 OPS*.689

■中日での年度別成績
2014  .301(*83-*25)*1本 *18打点 15四死球 OPS*.814
2015  .294(*51-*15)*0本 **8打点 *7四死球 OPS*.726

巨人1年目からいきなりMVPを獲るなど、4年連続「3割・30本塁打」を記録。低迷していたチームの再建に大きく貢献しました。しかし、2011年からはいわゆる「違反球」導入の影響もあってか成績が急激に落ち、出場機会も激減しました。中日に移籍後は代打の切り札として復活、意地を見せました。

 
改めて数字で振り返ると、いろいろなことが見えてきますね。

上記の通り、小笠原以外はみな巨人1年目は苦戦していますが、さすがにそれでも出場機会はしっかり与えられています。

問題は2年目以降。入団前に期待されていたような成績が残せなくなると、露骨なまでに出場機会が減らされています。そこは「巨人史上最高のFA選手」である小笠原にも、巨人は容赦しませんでした。

引退後にあれこれ巨人に対する「恨み節」を語っている清原などは、まだ我慢してもらっていた方だと思います。巨人では規定打席到達が3回しかないのに、結局9年も在籍させてもらいましたからね。

巨人最終年は4人とも「干されて」しまい、最後は「クビ同然」という感じで巨人を退団しました。

その後、それぞれ他球団に移籍して「プチ復活」を果たし、巨人に対する意地を見せた形になっているところには、4人のプライドのようなものを感じます。(清原は微妙ですが…。)

特に阪神に移籍してヒーローインタビューで「六甲おろし」を熱唱した(笑)広沢や、巨人時代は剃っていたヒゲをたくわえて、中日で代打の切り札として復活した小笠原の活躍は印象深いです。

こうして4人とも移籍したチームで数年間プレーし、最後は惜しまれながら静かに引退しました。

今、村田を一番必要としているチームは?

さて、村田にとって巨人へのFA移籍はどういうものだったのでしょうか。

上記の4人にならって、村田の成績をご紹介したいと思います。

村田修一(横浜 → 巨人 → ???)
■横浜でのキャリアハイと最終年の成績
2008  .323(489-158)46本 114打点 59四死球 OPS1.062(CH)
2011  .253(530-134)20本 *70打点 56四死球 OPS*.744(最終年)

■巨人での年度別成績

2012  .252(516-130)12本 *58打点 51四死球 OPS*.690
2013  .316(519-164)25本 *87打点 63四死球 OPS*.896
2014  .256(519-133)21本 *68打点 52四死球 OPS*.732
2015  .236(330-*78)12本 *39打点 36四死球 OPS*.683
2016  .302(529-160)25本 *81打点 43四死球 OPS*.859
2017  .262(424-100)14本 *58打点 40四死球 OPS*.754

 
改めて振り返ってみると、今季を除いて怪我をした2015年以外は毎年ほぼフル出場しています。

以前の巨人だったら、2015年のような不甲斐ない成績を残した翌年は、ほとんど出場機会は与えられなかったと思います。2003年から2004年にかけての江藤がいい例です。

巨人最終年となってしまった今季も「干された」というほどではありません。

そう考えると、村田の巨人での6年間は、上記の4人と比べて非常に恵まれたものでした。

村田の通算安打数は現在1865本。2000本安打まで残り135本です。上記の村田の成績を見てもわかるように、一年間フル出場できれば十分達成可能な数字と言えます。

したがって今後村田が取るべき行動は一つ。年俸などの条件面は二の次にして、とにかく試合に出られる球団への移籍を実現させることです。

もし村田がレギュラーとして起用された場合の、来年の成績を予想してみます。

.274(503-138)20本 76打点 45四死球 OPS.776

これくらいの成績が期待できて、平均以上の守備力で一塁と三塁を守れて、しかも怪我に強い。こういう選手を今、一番必要としている球団は一体どこなのでしょうか。

あれ?意外と巨人かも…。

お後がよろしいようで 笑


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