闘将・星野仙一氏を偲んで/「血の入れ替え」~FA・その他編~

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2018年1月4日、星野仙一氏がすい臓がんのため、70歳で亡くなりました。

星野氏は監督時代、トレードやFAなどによる選手補強でも優れた手腕を発揮しました。

チームの若返りや体質改善のために、それまでの主力選手を惜しみなく放出してでも欲しい選手を獲りに行く姿勢は「血の入れ替え」とも呼ばれました。

星野氏のトレードによる数々の選手補強をご紹介した前回に引き続き、今回は星野氏が行ってきたFA・その他の選手補強を振り返ります。

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「血の入れ替え」【FA・その他編】

星野氏が監督時代にFAなどで獲得した主な選手10人をご紹介します。

※上が移籍前年、下が移籍1年目の成績です。

宣銅烈(ヘテ → 中日)
1995  5勝3敗33S 防0.49 109.1回 140奪三振 WHIP0.58
1996  5勝1敗*3S 防5.50 *54.0回 *67奪三振 WHIP1.56
韓国球界で146勝132Sを挙げ「韓国の至宝」と呼ばれた宣を1995年オフに獲得。宣は1年目こそ不調でしたが、2年目に38セーブ、防御率1.28を記録。1999年も28セーブでリーグ優勝に貢献しました。

武田一浩(ダイエー → 中日)
1998  13勝10敗 防3.62 176.1回 103奪三振 WHIP1.37
1999  *9勝10敗 防3.50 162.0回 *92奪三振 WHIP1.29
1998年オフ、その年最多勝を獲得した明治大学の後輩にあたる武田をFAで獲得。1999年、武田は惜しくも2ケタ勝利こそ逃したものの、先発ローテーションの一員としてリーグ優勝に貢献しました。

片岡篤史(日本ハム → 阪神)
2001  .254(401-102)16本 62打点 58四死球 OPS.770
2002  .228(425-*97)11本 46打点 57四死球 OPS.663

阪神監督に就任した2001年オフに片岡をFAで獲得。1年目、片岡は慣れないセ・リーグの配球に苦戦し打率.228と大不振。星野阪神が初のリーグ優勝を飾った翌2003年は、打率.296と復活しました。

アリアス(オリックス → 阪神)
2001  .262(543-142)38本 97打点 53四死球 OPS.833
2002  .258(473-122)32本 82打点 44四死球 OPS.843
片岡と同じく、2001年オフにオリックスとの残留交渉が決裂したアリアスを獲得。1年目に32本塁打、82打点を記録したアリアスは、翌2003年は38本塁打、107打点でリーグ優勝に貢献しました。

金本知憲(広島 → 阪神)
2002  .274(540-148)29本 84打点 62四死球 OPS.846
2003  .289(532-154)19本 77打点 98四死球 OPS.848

2002年オフ、「お前は俺と一緒に歩むことになっている」というラブコールで金本をFAで獲得。2003年、金本はチーム打撃に徹する三番打者としてフルイニング出場。リーグ優勝に貢献しました。

伊良部秀輝(レンジャーズ → 阪神)
2002  *3勝8敗16S 防5.74 *47.0回 *30奪三振 WHIP1.43
2003  13勝8敗*0S 防3.85 173.0回 164奪三振 WHIP1.35

2002年オフ、レンジャーズを自由契約になった伊良部を獲得。7年ぶりの日本球界復帰となった伊良部は開幕から右のエースとして活躍。後半やや息切れしましたが、13勝でリーグ優勝に貢献しました。

松井稼頭央(ロッキーズ → 楽天)
2010  .141(*71-*10)0本 *1打点 *5四死球 OPS.352
2011  .260(538-140)9本 48打点 27四死球 OPS.675
楽天監督に就任した2010年オフ、メジャーリーグで7年間プレーしていた松井を獲得。1年目、打率.260に終わった松井は、2013年も打率.248ながらキャプテンとしてチームを日本一に導きました。

ジョーンズ(ヤンキース → 楽天)
2012  .197(233-*46)14本 34打点 *33四死球 OPS.701
2013  .243(478-116)26本 94打点 120四死球 OPS.845

2012年オフ、メジャー通算434本塁打のジョーンズを獲得。ジョーンズは開幕から四番打者として、打率.243ながら26本塁打、94打点でリーグトップの105四球を記録し、日本一に貢献しました。

マギー(ヤンキース → 楽天)
2012  .217(318-*69)*9本 41打点 31四死球 OPS.643
2013  .292(513-150)28本 93打点 72四死球 OPS.891
2012年オフ、上記のジョーンズとともにヤンキースでプレーしていたマギーを獲得。マギーは開幕から打撃好調を維持し打率.292、28本塁打、93打点と日本一に貢献。ベストナインを受賞しました。

斎藤隆(ダイヤモンドバックス → 楽天)
2012  0勝0敗0S 防6.75 12.0回 11奪三振 WHIP1.83
2013  3勝0敗4S 防2.36 26.2回 23奪三振 WHIP1.31

2012年オフ、メジャーリーグで7年間活躍し84セーブを挙げた斎藤を獲得。斎藤は怪我の影響で開幕こそ二軍で迎えたものの、シーズン終盤にはクローザーを務め3勝4セーブ。日本一に貢献しました。

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星野氏はまさに究極の「監督兼GM」

さて、ここまで何回「リーグ優勝に貢献しました」「日本一に貢献しました」と書いたでしょう?笑

星野氏は監督時代、リーグ優勝を4回(うち日本一1回)記録しましたが、星野監督が胴上げで宙に舞う時、そこにはいつも彼自身が獲得した「優勝請負人」たちの姿がありました。

上記の10人のほとんどが、星野氏が獲得を熱望した選手たちです。

特に有名なのは、やはり金本でしょう。「球界全体のことを考えろ」「お前は俺と一緒に歩むことになっている」などの強烈なラブコールで、金本に阪神入団の即決を迫りました。

結局星野氏の熱意にほだされて(?)阪神に入団した金本は、その後の活躍で「弱い阪神を変えた」とまで言われ、ファンからは「アニキ」と呼ばれて愛されました。

星野氏は中日で2回、そして阪神、楽天と4回監督に就任しましたが、毎回チームが前年5位以下と低迷している状況でのものでした。

弱いチームを短期間で強くするためには、積極的にトレードやFAで選手補強を行う「血の入れ替え」が必要だったのでしょう。

一方で以前の記事でお伝えした通り、実績のない若手選手を「信じて育て」、その後長きに渡ってチームを支え続けた名選手も数多く生み出してきました。

結果的に4回の監督就任全てでチームを優勝に導いた星野氏は、まさに究極の「監督兼GM」です。

鉄拳制裁も辞さない厳しい指導方法など色々賛否両論もありましたが、もうこういう監督はなかなか現れないと思います。

 
4回に渡って、星野氏のこれまでの功績の一部をご紹介してきました。

正直に言うと、私自身そこまで生前の星野氏を支持していたわけではありません。しかし、星野氏の訃報を聞いた時のショックと喪失感は、今まであまり経験したことのないものでした。

私でさえそうなのですから、星野氏と直接関わってきた球界関係者の悲しみは想像を絶します。

どうかその中から「星野イズム」を引き継いで、私たちプロ野球ファンをこれからも夢中にさせてくれるような存在が一人でも多く現れることを願いたいと思います。

改めて、星野氏のご冥福を心よりお祈りします。


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