闘将・星野仙一氏を偲んで/「ワシが育てた。」~投手編~

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2018年1月4日、星野仙一氏がすい臓がんのため、70歳で亡くなりました。

星野氏は監督時代、積極的に若手を抜擢し、自分が一度信じた選手はとことん起用するという育成法で、これまで数々の名選手を生み出してきました。

ネット上などでよく言われたように、星野氏が自身が育成した選手のことを「ワシが育てた。」と言ったかどうかは不明ですが 苦笑、今回はこの「ワシが育てた。」名選手たちをご紹介します。

「ワシが育てた。」ですが、星野氏が若手時代に抜擢し一軍の主力として起用した選手ということで、定義はわかりやすく以下の通りにしたいと思います。

●星野監督時代に初の規定打席到達を記録した野手
●星野監督時代に初の規定投球回到達、またはシーズン50試合登板を記録した投手

前回の野手編に引き続き、今回は「ワシが育てた。」投手編です。

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「ワシが育てた。」~投手編~Part.1

「ワシが育てた。」主な投手10人の初の規定投球回到達またはシーズン50試合登板を記録した年の成績(上/赤文字)、キャリアハイ(中/CHと表記)、通算成績(下)をご紹介していきます。

なお、初の規定投球回到達またはシーズン50試合登板を記録した年の成績がキャリアハイの場合は、その年の成績(上/赤文字/CHと表記)と通算成績(下)のみを表記します。

山本昌(中日)
1989  *991S 2.93 181.0 108奪三振 WHIP1.26
1993  17勝5敗0S 防2.05 188.1回 132奪三振 WHIP0.90
(CH)
Total  219勝165敗5S 防3.45
中村武志と同じく「整理対象選手だった。」山本昌は、星野監督2年目の1988年にアメリカ野球留学で覚醒し、同年シーズン終盤に5連勝でリーグ優勝に貢献。翌年先発ローテ入りして9勝を挙げました。

今中慎二(中日)
1990  10勝6敗1S 防3.86 144.2回 *85奪三振 WHIP1.57
1993  17勝7敗1S 防2.20 249.0回 247奪三振 WHIP0.98
(CH)
Total  91勝69敗5S 防3.15
1988年ドラフト1位で中日に入団。高卒1年目で7試合に先発して早くもプロ初勝利を挙げると、翌1990年は先発ローテーションに定着して6完投するなど規定投球回に到達。10勝を挙げました。

野口茂樹(中日)
1998  14勝9敗 防2.34 192.0回 134奪三振 WHIP1.23
1999  19勝7敗 防2.65 203.2回 145奪三振 WHIP1.32
(CH)
Total  81勝79敗2S 防3.69
第二次星野政権1年目の1996年に初の開幕ローテーション入り。ノーヒットノーランを含む5勝を挙げました。翌年は怪我の影響で0勝でしたが、1998年に14勝を挙げて最優秀防御率を獲得しました。

落合英二(中日)
1998  55試合 4勝6敗5S 防2.82 73.1回 36奪三振 WHIP1.27
2003  61試合 7勝0敗1S 防1.77 56.0回 35奪三振 WHIP1.04
(CH)
Total  37勝45敗24S 防3.29
第二次星野政権最初の2年間は先発として起用され、どちらも4勝止まり。1998年にセットアッパーに転向すると、この起用法が当たって55試合に登板し防御率2.82。最優秀中継ぎ投手を獲得しました。

川上憲伸(中日)
1998  14勝6敗 防2.57 161.1回 124奪三振 WHIP1.08
2006  17勝7敗 防2.51 215.0回 194奪三振 WHIP0.95
(CH)
Total  117勝76敗1S 防3.24
1997年、星野氏の母校・明治大学からドラフト1位で中日に入団。1年目から先発ローテーション入りし14勝。新人で打率3割を記録したライバル・高橋由伸(巨人)を抑えて新人王を受賞しました。

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「ワシが育てた。」~投手編~Part.2

岩瀬仁紀(中日)
1999  65試合 10勝2敗*1S 防1.57 74.1回 73奪三振 WHIP1.20
2006  56試合 *2勝2敗40S 防1.30 55.1回 44奪三振 WHIP0.87
(CH)
Total  57勝51敗404S 防2.23
プロ1年目の開幕戦にいきなり登板するも一死も取れずに降板。しかし、そこから得意のスライダーを武器に好投を続け、セットアッパーとして65試合に登板し防御率1.57。リーグ優勝に貢献しました。

安藤優也(阪神)
2003  51試合 5勝2敗5S 防1.62 61.0回 60奪三振 WHIP1.03(CH)
Total  77勝66敗11S 防3.56
星野氏の監督就任1年目に新人で3勝に終わると、翌2003年はセットアッパーに転向。クローザーだったウィリアムスとともに「勝利の方程式」として、チーム18年ぶりのリーグ優勝に貢献しました。

美馬学(楽天)
2012  *8勝10敗 防3.08 154.2回 108奪三振 WHIP1.15
2017  11勝*8敗 防3.26 171.1回 134奪三振 WHIP1.10
(CH)
Total  41勝49敗 防3.71
プロ1年目はリリーフとして6月までに23試合に登板するも、肘を痛めて同年はそのまま一軍登板はなし。すると星野氏のアドバイスで先発に転向。翌2012年は先発ローテ入りし8勝を挙げました。

則本昂大(楽天)
2013  15勝8敗 防3.34 170.0回 134奪三振 WHIP1.14
2017  15勝7敗 防2.57 185.2回 222奪三振 WHIP1.06
(CH)
Total  65勝47敗 防3.56
2012年ドラフト2位で楽天に入団。1年目のオープン戦で好投を続け、新人として29年ぶりの開幕投手に抜擢されるなど1年間先発ローテーションの一員として活躍。15勝を挙げて新人王を受賞しました。

福山博之(楽天)
2014  65試合 4勝2敗1S23H 防1.87 67.1回 32奪三振 WHIP1.11
2017  65試合 6勝0敗7S23H 防1.06 59.2回 31奪三振 WHIP1.06
(CH)
Total  16勝11敗9S88H 防2.75
2012年に野手転向を拒否したことからDeNAを自由契約となり、同年楽天に入団。2013年に22試合に登板すると、翌2014年に実力が開花。65試合に登板して23ホールド、防御率1.87を記録しました。

「信じて育てた」中日のエースたち

今回もやはり、中日の投手が6人と過半数を占めました。

山本昌、今中、野口、川上という顔ぶれは、1990年代以降の中日のエースの歴史そのものと言っていいでしょう。

ドラフト5位入団でプロ最初の4年間未勝利だった山本昌は、上述したように「整理対象選手」だったそうですが、星野氏は山本昌を鍛え上げ、アメリカに野球留学させて一人前の投手に育てました。

ご存じの通り、山本昌はその後32年も現役を続け、219勝を挙げる「大投手」に成長しました。

逆にドラフト1位入団の今中は高卒1年目から先発で起用。今中も期待に応えて2年目には早くも10勝を挙げ、その後25歳までに2ケタ勝利を6回も記録する「伝説のエース」となりました。

川上、岩瀬など即戦力の新人は1年目から主力として扱い、結果を出させました。

特に岩瀬には一死も取れなかった屈辱のプロ初登板後もチャンスを与え続け、それが日本プロ野球歴代最多の404セーブへと繋がりました。

楽天の則本、美馬、福山の3人は揃って今季がキャリアハイ。チームの3位に貢献しました。

これは、あの山本昌の覚醒から約30年たった今でも、星野氏の指導した若い投手たちが球界で躍動しているということです。本当に凄いことだと思います。

 
さて、2回に渡って星野氏の「ワシが育てた。」名選手たちをご紹介してきました。

わかりやすい条件を付けて選んだ選手たちですので、人選にはいろいろとご異論があるかもしれませんが、立浪、福留、山本昌、岩瀬の名球会入りした4人を含め、そうそうたるメンバーが揃いました。

鉄拳制裁も辞さない厳しい指導で有名だった星野氏ですが、訃報後に発表された星野氏が「信じて育てた」かつての教え子たちのコメントを見ると、みな感謝の気持ちであふれています。

その強烈すぎるキャラクターゆえ、プロ野球ファンの間では星野氏に対して賛否両論ありました。

しかし、星野氏がいたからこそ生まれた名選手、名場面に長年楽しませてもらったことに、私は感謝したいと思います。

星野氏のご冥福を心よりお祈りいたします。


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