カムバック賞の翌年の成績2/種田、まさかのトレードも新天地で意地!

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カムバック賞とは「怪我や病気による長期離脱、または極度の不振から復活して活躍した選手」に贈られる賞です。

このカムバック賞を受賞した選手の翌年の成績は一体どうだったのでしょうか。

気になったので調べてみました。

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カムバック賞の翌年の成績は?2

昨年までの過去30年間(1987~2016年)で、カムバック賞を受賞した選手はセ・パ両リーグ合わせて27人います。

今回は、前回の記事でご紹介した選手たちに続いて古い方から9人の受賞前年、受賞した年、受賞の翌年の成績をご紹介していきます。

1992年
セ 伊東昭光(ヤクルト)
1991  登板なし
1992  *7勝5敗1S 防2.77 146.0回 85奪三振 WHIP1.19
1993  13勝4敗2S 防3.11 173.2回 94奪三振 WHIP1.19
1991年は前年の右肩の故障の影響などもあり、一軍登板はありませんでした。1992年は、3年ぶりに勝利投手になるなど7勝を記録し、チームの14年ぶりの優勝に貢献しました。翌年は13勝とさらに成績を伸ばし、チームも日本一に輝きました。

 
1993年
セ 川崎憲次郎(ヤクルト)
1992  登板なし
1993  10勝9敗 防3.48 139.2回 108奪三振 WHIP1.30
1994  *6勝9敗 防4.79 114.2回 *67奪三振 WHIP1.47
1990、1991年と2年連続2ケタ勝利を挙げましたが、1992年は故障で一軍登板はありませんでした。1993年は10勝を挙げ、日本シリーズでは2勝を挙げてシリーズMVPを獲得しました。翌年は6勝、防御率も4点台と不振に終わりました。

 
1994年

セ 彦野利勝(中日)
1993  .260(196-*51)6本 29打点 28四死球 OPS.749
1994  .284(363-103)6本 49打点 48四死球 OPS.761
1995  .215(181-*39)1本 20打点 30四死球 OPS.614
1991年に右ひざ靱帯を断裂し、1992年はわずか23試合の出場。1993年には復活の兆しを見せていましたが、1994年、シーズン序盤にリーグトップの打率を記録するなど打撃好調で、4年ぶりに規定打席に到達しました。翌年は不振で、それ以降は代打としての出場が多くなっていきました。

 
1996年
セ 加藤伸一(ダイエー → 1996年から広島)
1995  登板なし
1996  9勝7敗 防3.78 152.1回 55奪三振 WHIP1.27
1997  1勝5敗 防7.48 *49.1回 18奪三振 WHIP1.74
1995年は右肩痛で一軍登板がなく、オフに自由契約となりました。その後広島にテスト入団し、1996年は9勝を挙げました。翌年はわずか1勝、防御率7点台と不振に終わりました。

 
1997年
セ 伊藤智仁(ヤクルト)
1996  1勝*2敗*3S 防5.40 *15.0回 *15奪三振 WHIP2.00
1997  7勝*2敗19S 防1.51 *47.2回 *53奪三振 WHIP0.69
1998  6勝11敗*3S 防2.72 158.2回 154奪三振 WHIP1.08
1993年に新人王に輝くも、ひじ痛とルーズショルダーで1994、1995年は一軍登板はなし。1996年後半に復帰すると、1997年は圧倒的な投球を見せ、クローザーとして7勝19セーブ、防御率1.51の好成績を残しました。翌年は先発に転向し、6勝ながらリーグ3位の防御率2.72と活躍しました。

 
1998年
セ 斎藤隆(横浜)
1997  登板なし
1998  13勝5敗1S 防2.94 143.2回 101奪三振 WHIP1.07
1999  14勝3敗0S 防3.95 184.2回 125奪三振 WHIP1.13
1997年に右ひじの遊離軟骨の除去手術を行い、一軍登板はありませんでした。1998年は13勝を挙げて、チームの38年ぶりの優勝に貢献。日本シリーズでは史上9人目の初登板初完封を達成し、チームも日本一に輝きました。翌年は防御率は悪化しましたが、自己最多の14勝を記録しました。

 
1998年
パ 西村龍次(近鉄 → 1998年からダイエー)
1997  登板なし
1998  10勝10敗 防3.36 152.2回 69奪三振 WHIP1.46
1999  *4勝*3敗 防4.34 *58.0回 34奪三振 WHIP1.36
1996、1997年と0勝に終わり、オフに自由契約となりました。その後ダイエーにテスト入団し、1998年は10勝を挙げました。翌年は開幕投手を任されるも、わずか4勝に終わってしまいました。

 
1999年
セ 遠山奬志(阪神)
1998  11試合 0勝1敗0S 防7.59 10.2回 *4奪三振 WHIP2.16
1999  63試合 2勝1敗1S 防2.09 51.2回 35奪三振 WHIP1.03
2000  54試合 2勝0敗3S 防2.55 35.1回 20奪三振 WHIP1.13
1997年にロッテを自由契約となり、阪神にテスト入団。1998年はわずか11試合の登板でしたが、1999年にサイドスローに転向し、左打者へのワンポイントリリーフとして63試合に登板しました。松井秀喜(当時巨人)を大いに苦しめた印象が強いです。翌年も54試合に登板しました。

 
2000年

セ 種田仁(中日 → 2001年途中から横浜)
1999  .196(*51-10)0本 *2打点 *6四死球 OPS.575
2000  .314(264-83)7本 31打点 26四死球 OPS.843
2001  .272(254-69)4本 43打点 26四死球 OPS.716
1993年に規定打席に到達して以降、怪我や不振で出場機会が減少。1999年もわずか43試合の出場でしたが、2000年に「ガニマタ打法」で復活し、規定打席未到達ながら打率3割を記録しました。翌年シーズン途中に横浜にトレードされましたが、前年を超える43打点を記録しました。

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種田、まさかのトレードも新天地で意地!

今回は9人中投手が7人。そのうちの5人が、前年の一軍登板なしからの鮮やかな復活でカムバック賞を受賞しています。

ヤクルトの投手が3人もいるというのは、いかにも怪我人の多いヤクルトらしい(?)結果という気がします 苦笑

今回最もドラマチックなのは、やはり遠山でしょうか。

1990年まで阪神で投手としてプレーし、トレード先のロッテで野手転向した遠山が、再び投手として8年ぶりに阪神に復帰した時はとても驚きました。

しかも、ワンポイントリリーフとしてあそこまで活躍するとは思いませんでした。

当時の野村克也監督の、左サイドスロー・遠山と右サイドスロー・葛西稔を「遠山・葛西・遠山・葛西」と交互に継投させる采配(投げない時は一塁を守らせる)も非常に話題となりました。

遠山はまさに「野村再生工場」によって蘇ったのです。

受賞の翌年の成績を見ると、伊東が一番成績が上がってますね。伊藤(ややこしいですが…)の方も、先発に転向して自身唯一の規定投球回到達を果たすなど、健闘しています。

種田は、なんとカムバック賞受賞の翌年に横浜にトレードに出されてしまいましたが、打率は下がったものの打点が増えるなど活躍。意地を見せました。

ちなみに種田は、のちに横浜で2年連続打率3割を記録するなど実力が開花、彼にとって大成功のトレードとなりました。

テスト入団で復活した加藤、西村は、翌年大きく成績が下がりました。気が緩みましたかね? 苦笑

それでは、続きはまた次回です!


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